2023年04月07日
史跡:旧東海道(8)金谷菊川
の島田宿を西へ 島田市博物館や大井川の大井川川越遺跡を覗き見て"越すに越されぬ"大井川を越して さらに西へ
大井川沿岸の過っての「川越し」の拠点あたりの「川越遺跡」には、当時の街並みや暮らしの様子を垣間見られる品や
絵図やパネルの他に.. 「帯祭り」や「髪祭り」の髪のモデルなどが、沢山展示されていて、大変興味深いスポットです!
まずはハイライト.. 下のスライドで 駆け足で画像先行..ご覧下さい!クリックで散策紀の元記事へジャンプ出来ます!
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川越街道?を見て歩き.. 島田市博物館を覗いて.. 金谷坂を登って.. 菊川坂の先の間の宿菊川まで歩け歩け!




大井川沿岸の川越場の待合宿?佇まいがリアルに再現されていて.. 江戸の昔の街道の街並みを彷彿とさせる!




川越遺跡の博物館にはさまざまな、品が展示されているが なんと、髪祭りの髪型のモデルもあったりする!(^^)!




川越遺跡を覗いた後、川向こうの金谷の宿へ移動.. 「金谷坂の石畳」を登って、諏訪原城址の前の牧之原台地を
横切って.. 「菊川坂」を下って.. 昔をしのぶ.. 「間の宿菊川」へ向かった!
※注意:なにせ古い撮影なので..現在の状態とは若干違う部分があるやもしれませんが、ご容赦くださいませ(^^)
大井川を越えた東海道は..「金谷宿」を抜けて、金谷坂の石畳を登り切って、牧之原台地の北端を横切っています
ここはいつか紹介した、金谷宿からの山越え「金谷坂の石畳」.. 全長430mはここからです、幸運にも桜が満開!

こんな風に石畳と杉林+桜並木でなかなか味わい深い風情です、この後にひどい鼻炎を発症するとはつゆ知らず

ここは坂の終点..頂上に当ります ってもここまでなかなか勾配がきつくて、江戸の昔と言わず今でも難儀です!

お品書き発見..歩いてきた金谷坂の掲示 同じ時期に再現された「菊川坂」の石畳も後ほど登場してきます^^♪

標識に従って.. 小さな集落の中を、さらに.. 旧東海道を西進、「諏訪原城跡」をちょこっと覗いて、歩いていくと

少し先 「菊川坂の石畳」を降りて菊川の里へ、さらにその先でまたまた山越え(小夜の中山)の後に平地に降りて
日坂宿(掛川東端)へと続いています・・

と言うわけで今回は金谷宿をパス菊川坂の石畳へ.. 実はここにあるとは知らなかった」!でも..なかなかいい雰囲気

入り口あたりには休憩ベンチなども完備、うーん、石畳も雰囲気もなかなかリアルでいいな、右手はお茶畑、ついつい
歩きたくなってしまうが・・ 全長700m!うっかり歩くと後が怖いので?

なかなか歩きでがある、 でもここまでくるともうすぐ間の宿、菊川だ、、菊川坂の石畳も終点ま近かになった・・

ほら、出口が見えてきた、、この先は旧東海道(今は市道かな?)に沿って菊川の街並みへと続いている・・

こっちは歩いてきた金谷側のほうを振り返って、オッターー君!お待たせー 暑いって..なんと気温は35度だった!

で、こっちが「菊川」界隈・・右正面が旧東海道?どう見渡しても? 昔の風情は全く残っていなかった? 残念ながら、
この先にも、、期待した古い街並みは皆無だった、、

いささか気落ちして・・ 街道に沿って先へ進むと、民家の壁に、、こんな絵地図が描かれていました、んっ!「間の宿」?

少し先にも?「間の宿」とある、、これなんだろう? 「間の宿・菊川」の解説板があった、、「菊川」は宿場ではなく「間の宿
(あいのしゅく)」(区間の長い本陣と本陣の間のお休み所!)「間の宿」では決して旅人を泊めてはいけないことになって
いたらしい、また食事も尾頭付きは出せない決まりであったそうだ (これは面白い!)やむ得ない宿泊にも金谷宿の許可
を必要としたと言う、、いや厳しかったんだー・・
そういえば東海道53次にも「菊川宿」はなかったなー、、となれば、次の日坂宿まで行かないと泊まれなかったのかー・・
なるほどそれなら・・ 「間の宿」ってあまりないから、、むしろ貴重な存在かも知れない?
奥の方に、その辺りの資料館を兼ねる「菊川の里会館」があるがこの日は平日とあって残念ながら休館?の様でした。

この先はまたしても登り坂?「青木坂」を登って、小夜の中山を越えて・・お茶畑の中をのんびりと、日坂宿へ続く街道に
なりますが、このつづきの歩きは次の9回目の編(最終編)で・・ お楽しみに(^^ゞ
おっと!この時期、桜を愛でない手はないですよね(^^♪ 御多分に漏れず、しっかり.. こちらでお花見してきました!
Posted by あんせるめ at 08:00│Comments(0)
│史跡散策