史跡:旧東海道(6)日本坂Tn
史跡:旧東海道:第六回目 街道は峠越からトンネルの時代へ!「宇津ノ谷峠にトンネルが出現」したお話は..前々回
今回はあの古代の東海道のあった「日本坂峠」にも トンネルが出現したお話!次々に.. なんと合計9本も通ってる..
うち3本は 「JR東海道本線」と「新幹線」の「鉄道用」で、残る6本は「国道BP」と「東名高速道路用」!です.. !(^^)!
先ずは「鉄道トンネル」「JR東海道本線」2本と「東海道新幹線」のトンネル1本を訪ねた!(日本坂:鉄道トンネル編)
近代に入り、様々な移動手段が出現し、汽車に自動車..船に飛行機! なかでも「汽車」は中距離移動の常套手段と
なって..やがて「電車」の全盛期へ! こうなれば所用で歩いて旅する旅人など皆無?になってしまって.. 街道も時代
に合わせて、国道や鉄道へそして新幹線や飛行機へと変貌を遂げてきていますよね!(^^)!
新旧のトンネルを、昔の「峠道」の視点で.. 訪れてみました 例によって..位置はGoogleさんの地図でこの辺りです。
縮尺やレイヤー を変えて位置関係を把握してください。
この記事も小生が初めて出会ったFc2のブログ 《TAKAの撮り撮り日紀》の《旧東海道(6)鉄道》..の転載です(^^ゞ
※注意 :なにぶん古い撮影なので..現在の状態とは若干違う部分があるやもしれませんが、ご容赦くださいませ(^^)
まずはハイライト..下のスライドで 画像だけ..駆け足でご覧下さい!クリックで散策紀の元記事へジャンプ出来ます!
石部(せきべ)トンネル焼津側野秋坑門上から 手前4路線が東海道本線と新幹線 新幹線日本坂トンネル焼津側坑門
東海道本線:石部トンネル静岡側坑門 用宗駅西側の 一見三つ目? 懐かしい電車..が走る!SLでないのが残念!
先ずこれを見て!鉄道+国道でなんと9本ものトンネルがあります 海岸寄りの1本を除き8本ものトンネルが日本坂峠
の麓を貫通しているのです(^^ゞ
さしずめ ここはトンネル銀座?JR東海道線の石部(せきべ)トンネル坑門上の山から焼津側の眺め、遠景は藤枝方面
です、トンネル直前に9本の路線が並行しているのがお分かりですか? 開設の都合上? 3グループに分かれています
左端の2本が :JR東海道本線、中段は分かり難いですが :東海道新幹線と :国道150号が並行しています、
そして、中央上の山際は :東名高速道路です、この間の距離は200~300m程度とかなり狭い範囲、見えていないが
右の山際に、各々のトンネルの坑門があります・・・ なお中央下の東海道線脇の家々は 焼津市小浜地区の集落です。
同じ場所を南側の小浜山の中腹から見ると・・・ トンネルへの路線が密集しているのがお分かり頂けると思います?
手前から:JR東海道本線:次はJR東海道新幹線:国道150号線(右手に坑門が見えます)奥が:東名高速
道路、一番奥は第一回目に登場した花沢集落です、手前は隣の野秋という集落です。
日本坂峠の最初のトンネルは宇津ノ谷峠と違って街道用ではなく鉄道用! 本編では鉄道用のトンネルのお話を進める
ことにします。 <道路用は次回(7)にて>
さて最初は旧国鉄の東海道本線用「石部(せきべ)トンネル」焼津小浜の坑門です、明治22年・旧国有鉄道・東海道本線
の開通と共に竣工、当初は静岡側の「石部トンネル」と焼津側の「磯浜トンネル」の2本が連なった単線でしたが、明治44
年に2本目が完成し2路線:複線になっています。
坑門は昔と違い現在は回りに邪魔な構築物もありますが、それでも竣工当時の面影を強く残していて、とても気に入って
いる坑門の風景です、それにしても坑門のすぐ脇のお宅、音がすごいだろうなー、
こちらは静岡側焼石部(用宗駅直西)の坑門です、石部・磯浜トンネルとも昭和37年の改修時に掘り直しされ上下線とも
繋ぎ無しの1本になっています、元の坑門はもっと奥のほうでした、坑門付近は崩壊し易いのかコンクリート製のポータル
でガードしていますね、石垣だけが昔のままかな?
同じ坑門を用宗駅西の踏切から見ると・・・ かっては左手に海岸が見えたのですが、住宅が立て込んでしまって、SLが
走った昔の姿がなくなってしまって・残念です、、それでもコンクリート製の3つ目のポータル部?なかなか目を引きます
ね、、
2番目は現在の鉄道の主役! JR東海道新幹線の「日本坂トンネル」です、画像は焼津側の野秋坑門・・・ 思えばあの
D51の生みの親・機関車設計の天才「島秀雄氏」の東京発北京行き!「弾丸列車計画」(古い!)で、昭和16年着手・・
同19年、完成したものの計画中止で主人を失い! 行き場がなくなって、あえなく放棄? いやいや・・・
やむなく当時、石部トンネルを通っていた東海道本線を切り替えて通しました、しかしその後の昭和39年からは東海道新
幹線の上下線が通る様になったために、、現役の東海道本線を追い出した! なにかといわく付きの「日本坂トンネル」
です、
野秋口のポータル部をのぞいてみると、と弾丸列車用なので、開口も大きく今では当たり前ですが、上下線2本が収容
できる構造になっています、また珍しい丸い坑門が見てとれます・・・ しかし人が出入りするわけではないのですが、
何かごちゃごちゃと危険な作りですねー、、いささか心配!実は東海道新幹線を通すとき、更に静岡側石部に
同名で別の石部トンネルを掘削して追加した1本が連なっていますが、そっちは後で・・・
こちらが日本坂トンネルの東側石部の坑門ですが・・・ 当然ながら「立ち入り禁止」! 鉄条網だらけで、ガード固く厳し
い! この位しか近寄れません、
そうだ、 いいことを思いついた! 鉄条網の隙間から、小型カメラだけ、恐る恐る?進入させてもらうと、おっ!しめた、
なんとか撮れました、小さいデジカメは(FinePix40i)こういうときは便利ですねー(^^♪
これが上の「日本坂トンネル」の東側に連なる「石部トンネル」西側の石部坑門です、名前が東海道線のと同じですが、
こちらは当初からの新幹線用で、開業時に新設追加されたトンネルです。 参考までに.. 位置はこのあたりです、
石部トンネルの石部坑門です、ここも鉄条網!これ以上は近づくことが出来ません! 仕方が無いので金網に張り付いて
・・えいっやっ!と・・・ あれれ? 案外うまく撮れました!
これは石部トンネルの更に静岡側のやはり新幹線用に作られた「用宗トンネル」静岡側の坑門です、静岡からずっと高架
橋の上を通ってここでそのままトンネルへ接続しています、鉄条網もありますが、線路の位置が高く、周りに
高い足場等?もなくどうにも接近できません、
という事で、日本坂峠のトンネルは合計9本です・・・ 宇津ノ谷峠より13年遅れて、明治22年から平成14年まで、116
年間に9本のトンネルが作られた事になります、、
合計するとなんと13本・・・ これだけ集中している場所は国内でも少ない?いやここだけかもしれませんね?
その上、現在建設中の第二東名のトンネル・・・ 最低2本を加えると15本? こんなに掘りまくるなんて、技術が進んだ
のでしょうね、、すごい事です・・・
おやおや、「旧東街道」見て歩き? 変じていつのまにか、「トンネル見て歩き」!それも鉄道の!・・・ になってしまいま
したが、、いまや飛行機に船に鉄道に自動車・・・
昔のように歩いて旅をしなくなった近代の旅人にも広義の意味で、鉄道や道路はやっぱり「街道」?ですね..もっとも宿場
や旅籠のある街道! とは意味合いが違って、単なる「移動手段」? 宿場や旅籠、峠の茶屋のある風景!・・ね?
は望めませんが、 といったところでしょうか? ということで、このシリーズ、無理やり落ちに致しましょうか?
と..本編はここまでですが、登場したトンネルのお話に興味とお時間をお許しいただけるむきには? もう少し、調べている
うちに次々と興味津津な事柄に遭遇.. ゾクゾクと.. 新発見!(^^♪ 夢中になって追っかけまわしてしまいました..
ロマンあふれるお話ではありませんか^^) ひょんなことから..幼い頃に目を輝かせたノスタルジーが蘇ってしまった(^^)
トンネル散策から思わぬ新発見、眠れる原風景.. 消えた:磯浜トンネルの「謎」 :(謎)と「解」 :(解)など..良いですね~?
なんといっても・・ 鉄道院の「島安次郎氏」やあのD51の生みの親・機関車設計の天才「島秀雄氏」の東京発北京行き!
「弾丸列車計画」って・・・ 眠っていた記憶をしっかり、呼び覚ましてしまった!
特に弾丸列車計画と東海道本線については、いま少しうんちくをたどって見たいところです? なんだか旧東海道・散策!
変じてにわか鉄ちゃんの雰囲気になって来ましたが、この手の寄り道は楽しくて大好き、ついぞ深入りしちゃいます(^^ゞ
※脱線ついでに、七回目は.. 鉄道トンネルに続いて、日本坂、宇津ノ谷峠を貫く「道路トンネル」も訪ねてみる事にします..
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