史跡:旧東海道(5)岡部の道

あんせるめ

2023年03月26日 07:00

史跡散策紀 :旧東海道 :第五回目は 前回初登場の「明治のトンネル」に続いて「大正のトンネル」を訪ねてみました!
街道巡りからは.. ちょっと寄り道?かも..(宇津ノ谷峠編)とでも..(^^ゞ

前のお話で゛トンネル゛ が出現しましたよね! そう「明治のトンネル」です、はからずもトンネルが街道のルートを変えて
しまった話!街道は交通量が多くなるにつれて、平坦で通りやすい ルートに、移行するのは当然と言えば当然..ですが
その手段として トンネルに行き着いた!・・ 言い換えれば、トンネル 掘削技術の進化 によるところが大きいですね! 
これを期にかっての峠道は次々にトンネル化され、街道のルートもトンネルを掘りやすい位置へと移って行きましたね..

今回はこんな視点で歩いてみました!例によってお話の起点「大正のトンネル」位置はGoogleさんの地図でこのあたり
縮尺やレイヤーをクリックして.. 見方を変えてご確認下さい。
この記事も、小生が初めて出会ったFc2のブログ 《TAKAの撮り撮り日紀》《旧東海道(5)岡部》.. の転載です(^^ゞ
※注意 :なにぶん古い撮影なので..現在の状態とは若干違う部分があるやもしれませんが、ご容赦くださいませ(^^)

まずはハイライト..下のスライドで 画像だけ..駆け足でご覧下さい! クリックで、散策紀の元記事へジャンプ出来ます!
ここ宇津ノ谷峠は道の博物館&トンネル銀座とも云われ :明治:大正:昭和;平成と4本ものトンネルが隣接しています..



なので、課題の大正のトンネルだけでなく、この後に登場する :昭和 :平成のトンネルなどの他、岡部側の散策起点に
なった坂下集落など.. ここまでの足跡も振り返ってみました!


大正のトンネル 県道208号(旧国一)静岡側の坑口 更に静岡より現国1宇津ノ谷トンネル 県道208号への分帰路


今回主役の大正のトンネル岡部側坑門 散策済みを含む周辺マップ トンネル群のうんちく 各トンネルのスペックが


トンネル前広場 明治のトンネル宇津ノ谷口 昭和:平成のトンネル(国一) 岡部の坂下集落(宇津ノ谷散策の起点)
と言うわけで少し寄り道して:旧東街道ならぬ往年のトンネル巡り?・・ 最初は、もちろん明治のトンネル、これが岡部口
少し暗めで.. かえって古風な雰囲気が高まりますね? なんだか初めて見るような新鮮な心地がしますけど・・・
<<画像をクリックすると大きい画像が見られます>>


もう一度パネルを見てみましょう、特に下段のトンネルの由来!は興味津津の内容がいっぱいです、ご参考までに
<<画像をクリックすると大きい画像が見られます>>

この赤レンガ作りはそれまでの火災焼失被害などの改修が行なわれた、明治37年(1904)からのお姿です・・・ もちろ
ん有形文化財の指定を受けるなど、岡部町と静岡市の擁護と保存努力によって素晴らしい状態が保たれている事は言う
までもありません。

明治の次は「大正のトンネル」って!かなりわざとらしいですが・・・ 着工は大正15年(1926)ですが完成が、昭和5年
(1930)の為に「昭和第一」トンネルとも呼ばれます、こっちは岡部口です、さりげなく昔の面影が残っていますね・・・
この道はすでに東海道でなく国道1号線と!トンネル名も「国道1号線宇津ノ谷隧道」として竣工しています(旧道路法の
成立の為)

こちらは静岡口です、初期には木炭車?がもうもうと煙をはきながら、後には大小沢山のトラックや乗用車、そうそう今は
なき6ナンバーの三輪トラック!が行きかう姿が懐かしく目に浮かびます、
しかし・・・ おしいことに「東海道」という名前はここで消滅してしまう! 旧東海道と現在の国道1号線≒(東海道+京街
道)・・・ ちなみに通過するルートに若干の違いはあるが、ほぼ同じと考えてよいそうです?

現在の国道1号線は新なトンネルが完成し、合計2本4車線の充分な交通量を得ています、またこの旧国道1号線は国道
208号線に格下げ?されましたが「大正のトンネル」は現役!今も多くの?いや、まばらな?車の往来を見守っています。

大正の次!は言わずと昭和のトンネルですが、大正のトンネルのルートは国道1号とはいえ若干の高さの峠越えルートだ
ったのでやや非効率? 文明開化から急加速しっぱなし、高度成長期の交通量をカバーし切きれず、昭和34年(1959)
更に平地に近い位置に昭和のトンネル(昭和第二トンネルとも言う)が完成・・・ 殆ど峠らしさはなくなってしましました、
先ずはこれを見てください、現在の国道1号線宇津ノ谷トンネル静岡口です あれ?2本ありますね? 右側が昭和のトン
ネルです、左のはっ?

少しすこし遠くからです、実は左側のトンネルは平成7年(1995)竣工の「平成のトンネル」です、つまり当初は、右側の
「昭和のトンネル」だけで国道1号線/上下2車線でしたが、昭和後期の慢性渋滞?に耐えかねて左側にもう1本掘削して
下り専用2車線にし、同時に「昭和のトンネル」は改装して上り専用2車線になりました・・・ なおトンネル手前の陸橋は、
右折横断レーンで国道208号線への接続路です、こっちへ行くと「宇津ノ谷集落&明治&大正のトンネル」方面です、 
また画像の左端の施設は最近完成した道の駅下り線側です・・・ ここに蔦の細道への静岡口があります。

こっちは岡部口です、左側が上り「昭和のトンネル」、右側が下り「平成のトンネル」です、手前の歩道橋は明治の道で御
紹介した岡部坂下の陸橋、撮影は木曜日のお昼時、割りとすいてます、今は4車線あればまあまあですが、6~8車線を
要求される日もそう遠くはなさそうですね。

ちょっと引いて見ました、陸橋の脇に一連のお話の起点となる「坂下地蔵堂」が見えますか?ここは秀吉の:旧東海道や
蔦の細道への入り口でもあります、道しるべの碑が小さく見えますね?右手には坂下の集落も見えています、

ところで:最初に「宇津ノ谷峠にトンネルを」と働きかけたのは明治7年(18732)静岡市の安倍川に有料の安水橋をかけ
た宮崎総五と言う静岡の人、 その奨めで地元の有力者だった杉山喜平次ほかの7人が結社をつくり、明治7年(1874)
5月掘削に着手した・・・ というのは明治のトンネルのヒストリーにありますね、

このあたりをもう一度ここ「明治のトンネルの」入口にある小公園のパネル(中央のレンガ様の台上)で見てみましょう、
4つのトンネル同士の位置関係をもう一度確かめてましょう!しごく近くなのですが・・・ なおまさに明治のトンネルの真
上を旧東海道が通っているのが分りますね!

それぞれのトンネルのヒストリーを整理してみますと、こんな具合です・・・一同に見渡すとかっての東海道、明治から大正
:昭和へと・・・ すざましいスピードで進化していく様子が分りますね!

そして最後は、各々のトンネルのスペックですが、みんな同じように見えていても、良く見ると違いがあって進歩の跡が見
えるものですね(^^♪


宇津ノ谷峠、最初の「明治のトンネル」から129年、現在は全部で4本に増えました・・・ 考えようによっては130年間に
4本は、あまり多くは無いのかもしれませんが、南の・・・ 日本武尊の「日本坂峠」のトンネルは、なんと現在8本もあるの
です、やっぱり宇津ノ谷峠だけでは足りなかったようですね、
結局この狭いところに13本(ローカル国道用が+1本)すごい事ですね..旧東海道を歩いていたらいつの間にかトンネル
探索になってしまいましたが、東海道が京街道を加えて国道1号線へ進化していく過程で トンネルは避けて通れませんね
またしても新発見でしたが・・・ いやー!散策って面白いですね、意外な出会いがいっぱいでした!

そうそう「日本坂峠」下のトンネルの話は次回旧東海道(6)鉄道(日本坂峠編)で、まずは鉄道のトンネルからレポします。



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